今日は「地獄」か「天国」か。談志師匠に振り回された前座時代の1日
大事なことはすべて 立川談志に教わった第3回
■マンツーマンだと優しい師匠
さあ、ここなんです! マンツーマンになった時なのです。
あれだけ攻撃的な師匠でしたが、案外守りには弱く、近くにいる弟子が一人しかいないという状況になると、打って変わっていくぶん優しくなるのです。旅先などでは特にそうでした。
もっとも「『師匠は優しい』と思うのは甘えにもつながるぞ」というのは、いろんな兄弟子から言われた「立川流の掟」ですから、充分注意はしますが、師匠とて人間、まして根っからのさびしがり屋の気分が多少芽生えるのでしょう。
こんなドジな私でしたが、「お前、一人暮らしか。出来そこないのカレーでも食うか」と、師匠お手製のカレーをいただきながら、直接「落語論」を拝聴するチャンスもありました。これは今にして思えば、最高の贅沢な時間と空間です。
さらに機嫌がいい場合は、「お前、飲むか? 前座は禁酒禁煙だけど、今日は特別に掟を破ってやる」と、酒をごちそうしてもらえることもありました。
緊張しながらも、ビールなぞを注いでもらいました。
「いいか、こんなこと言うと手綱が緩む可能性もあるけど、俺を師匠として選んだお前のセンスはいい。間違っていない。俺も生涯の師匠として選ばれた気分は悪くない。
ただ、俺はお前に弟子になってくれと頼んだわけじゃない。個々の軋轢(あつれき)は個々で解決していけ。空間を埋めるんだ」
酔いも手伝ったせいか、師匠は優しく言いました。
ただ言い方は優しいのですが、言ってる内容は今振り返っても解釈できないような抽象的なものです。自分も酒も入っていて、逐一理詰めで把握はできませんでしたが、思い切り意訳すると、「嫌いなやつなんかそばに置くわけない」と理解することにしました。
つまり「師匠の無茶ぶりは、愛情の裏返しなのだ」と。
ハシにも棒にもかからないような人間になぞ、無理難題を吹っかけるわけはありません。「解決の糸口を、こいつなら見出せるはずだ」という「誤認も含めて」の、師匠からの期待値の大きさなのだと。
こうして前向きな姿勢だけは、常に持つようにしていました。